金曜日の夜から母が泊まりに来ている。
昨日も今日も運転の練習に付き合ってもらった。滋賀まで運転。昨日よりも格段にうまくなった。
うまくなったというよりは普通に近付いた。
母は「最初はみんなそんなもんやから」と励ましてくれる。
今日は滋賀の湖畔にあるカフェまで運転した。ハラハラする場面もあったが、喋りながら運転できるくらいにはなった。
カフェでカレーを頼んだ。母はスパゲティ。
ケーキとドリンクが付いてくるセットを頼む。
ロケーションは完璧、晴天、琵琶湖とゼロ距離。
カレーは美味しいか美味しいかわからくて、「母にこれ食べたことある味や」と言って一口あげると「これレトルトのやつやわ」と小声で教えてくれた。母のスパゲティを一口もらうと自分で作ったものと似たような味。
母のケーキは冷たい、多分冷凍されたもの。
わたしのモンブランはただひたすらに甘い。
母とこっそり話す。ロケーションが最高、ただそれだけでこんなに人が入るのはどうしてなのかと話す。アクセスだって車がないと行けない。それなのに駐車場は満車。常に番号札を持った客がいる。席に着いた客はみんな嬉しそうに美味しそうに運ばれてきた料理を食べる。
非日常感を楽しめるロケーション。それだけでみんなの笑顔を作れるのか??
なんだか研究して料理をしている人が馬鹿みたいだ。美味しいと言わせる雰囲気があればオッケーなのか??なんだかモヤモヤとした。
他と被らない最高な空間さえ確保したらそれで儲かるのなら簡単な話だと思った。作られた不味いカレーならなんだかこだわりや頑張りが感じられて良かったのになと思った。
美味しいってなんなのかわからなくなった。
けれど昨日食べた母が作ってくれた鍋とわたしの作り置きは美味しかった。
てか、レトルトのカレーをあっためてさも手作りのように出すのって詐欺じゃないか?!
(もし手作りで、限りなくレトルトに近い味だったのなら申し訳ございません。)
少し前に友人に「誰々の新しいアルバム聴いた?何がかっこいいかいまいちピンとこなかった。自分の友だちはみんな良いと言ってる。」と言われた。
SNSでも、最高、待ってた、やっぱり良いね!、ライブ行きたい〜、などと書かれている。
なんだか、最近わたしはかっこいいってなんなのか、美味しいってなんなのか、どこまでみんなが本気で思っているのかわからなくなってきた。圧力とまではいかない同調圧力みたいなものがあるような気がした。けど、別にあってもいいような気もしている。
アーティストに関しては、"かっこいい"以外に"好き"も含まれるんだろうなと思う。
ただ、インスタントカレーなら「あっためただけです」と書いておいてほしいと思った。
それなら別の料理を頼むから。